念願の初めまして。
こんばんわ。
咲音です。
2日連続更新とは、私にしては珍しい。
今日は、ずっとずっと会いたくても会いに行けなかったお姉さんが、私に会いに来てくれました。
2年前くらいからお世話になってて、ようやく初対面です。
私の最寄り駅まで来てくださって、カフェでお茶までご馳走になって…
本当に感謝しかありません。
これまでもメールや電話でメンタル的な事や家庭問題などを相談していたのですが、今日改めて自分からこれまでの事を口で伝えました。
幼少期からこれまでどの様に過ごしてきたか、今一番辛い事は何か、家ではどんな事が起きてるか、その他諸々。
過去の事を話していた時は、その時の痛みや感情が蘇ってきて、涙こらえるのに必死でした。
それでもお姉さんが私を拒絶せずに最後まで聞いてくれたから、何とか自分を保つ事ができた。
物心ついた時から、私は虐待されてた。
それはネグレクトでもあったし、時に身体的、心理的虐待でもあった。
1歳か2歳の頃、父と母が私をボールの様に投げて、泣いてる私をどっちがあやすか、言い争ってた。
その記憶だけはすごく鮮明で、声も状況も覚えてる。
そして、私が泣いても母親は無関心で、ミルクあげとけば機嫌治るだろ、とか思ってたんだと思う。
とりあえず、泣いたりぐずったりしたらミルク。
オシメもまともに変えてもらえず、お尻はかぶれてた。
そして、オムツも6歳まで取れなかった。
幼稚園に入園してからの私は、周りの友達と話すことができなかった。
話したくても声として発することが出来ない。
後にこの症状は場面緘黙だと分かったが、周りから声を出せない事を怒られて、馬鹿にされて、私は低学年までを過ごした。
そして、親からしつけもされず、お箸の持ち方、鉛筆の持ち方、靴の左右の区別…
全てが出来なかった。
お箸と鉛筆はグーで持ち、上履きは左右をしょっちゅう間違えて履いていた。
その度に、幼稚園あるいは小学校の先生に怒られてた。
私は何が何だか分からなくて、パニックだった。
結局、それらのしつけを全部私に身につけてくれたのは、今でも大切な私の親友。
野菜はちゃんと食べるんだよ、って当たり前の事も教えてくれた。
その親友にはたくさん助けてもらったけど、周りと明らかに違う私はいじめの対象になった。
小学校入学前から近所の子に目をつけられ、入学した時はいじめが始まっていた。
無視なんか全然マシな方で、暴言、悪口、菌扱い、先輩含む男女の集団に囲まれてリンチまがいな事もあった。
先生は見て見ぬ振り、親に泣きながら訴えても何故か怒られて叩かれる。
もう、誰も助けてくれる人なんていなかった。
いじめは中学に上がっても続いて、エスカレートしていった。
『この町の若者はみんな人の痛みが分からないんだ』
そう思って、高校は私の地区からは誰も行かない看護科の高校に進学した。
小さい頃から私の夢の芯は、いつも看護師だった。
病気の祖母を看護したいという気持ちもあったけど、何よりも人の痛みを分かる人間になりたかった。
そして小学生ながら、身体的な痛みや精神的な痛みを少しでも和らげることができたら私はこの世に生まれてきた意味があるんじゃないか、とまで思っていた。
同じ夢を目指す仲間。
きっと、上手くやっていけるに違いない。
そう信じて受験勉強も塾に行かず頑張って、何とか受かった高校。
しかし、そこでもやはりイジメのハンターにされた。
イジメといっても昔のいじめに比べたら全然マシなもの。
体育の授業の時にたまたまバレーボールのパス練習で当たったペアの子がクラスで一番気の強い女の子だった。
私はもともと体育が苦手で、パスの練習をしている時もなかなかボールが届かず、何度もペアの子に迷惑をかけた。
その度に謝った。
ごめんね、ごめんね、って。
でも、そのペアの子を散々イライラさせてしまい、とうとうバレーボールのボールを顔面めがけてぶつけられた。
もろ顔面に食らった。
その時の痛みは覚えてない。
でも、そのペアの子を始めとして、周りにいたクラスメイトみんなが私を見てゲラゲラ笑ってた時の私の心の痛みだけは覚えてる。
辛かった。
それから、クラスでグループ一緒だった子が私の悪口を言っているのを聞いてしまったり、気付いたらグループからハブられたりしてて、私は孤立してしまった。
それまでの私だったらそんな事あっても登校していたけど、理想と現実のギャップにあまりにも苦しめられて、遂に心がボロボロになってしまった。
初めて精神科にかかって、初めて不登校になった。
それでも荒療治の様に無理やり学校に連れて行かれ、卒業させられた。
苦しかった。
身体も心も痛くて、もういつ死んでもいいと思ったのはその頃からだった。
あれから6年。
お姉さんにこれらの事全部話して、自殺未遂した回数なんかも正直に答えた。
改めて振り返ってみると、結局死ねてないんだよね。
『生きててくれてよかった』
お姉さんがそう言ってくれた時、久しぶりに私も生きててよかった、と心から思えた。
そして、お別れする時は手を握って、また会う約束を。
「生きる。私生きます。」
そう約束して、バイバイしました。
お姉さんの前では涙こらえてたけど、バイバイした途端に涙がボロボロ出て、久しぶりにこんな優しさに触れて痛いほど暖かくて、嬉しかった。
私は、私を守る。
また希死念慮に襲われたら、お姉さんとの約束を思い出そう。
心強い味方ができました。
明日も、明後日も、生きる。
人はみんな偽って生きている
こんばんわ。
咲音です。
先週から学校に通い、やっと土曜日です。
ただ、木曜日に大変な事をやらかしてしまい、単位一つ落としました。
もう、資格取得は無理だそうです。
出席が関係する単位だから補講も無理だと…
「1日休んだら単位落とすからね!」
前日に散々忠告されていたにも関わらず、休んでしまいました。
原因は、リスカとODです。
本当に突発的で、意識がほとんどないまま気付いたらこの状態に…
この有り様を目にした祖父母は、
馬鹿、頭おかしい、何て事してくれたんだ
意識は朦朧としてても、猛烈な怒りは伝わってきました。
そして、祖父に頭3回叩かれました。
馬鹿っ!!!!!
と、本当にドラマで子供をビンタするじゃないけど、そんな感じで…
「散々金かけてやったのにこの有り様か」
「もう病院行く金もタクシー呼ぶ金もないんだぞ」
「どうしてくれるんだ」
「こっちが薬たくさん飲みたくなる、頭おかしくなる」
もう当たり前だけど、私の心配なんか何もしてくれなかった。
突発的とはいえ、前日の夜に突然希死念慮に襲われたのは事実。
学校でスケジュール表貰って、9月の修了式まで生きてるかな、私、とか自信無くしてしまって。
それで死にたくなってしまったのです。
ただ、木曜日の朝はスッキリ起きられたし、朝ごはんもきちんと食べて着替えも洗面もして学校行く気満々だったのに、この有り様です。
本当に、本当に、死んでもいいって思った。
祖父母をヒステリックにさせてしまった自分なんて、死んでしまえと思った。
結局病院に行くお金もなく、水分無理やり取らされて薬を解毒させられて、リスカの傷は包帯でぐるぐる巻きにされました。
そして、意識が戻って話せるようになった時、自分の気持ちが抑えられなくて聞いたんです。
「私、この家出て行って外で暮らす。ホームレスにでも何にでもなる。」
「じいじもばあばも、私なんかいない方がいいんでしょ?」
と。
でも、全力否定されました。
朝とは全然接し方が違う。
『そんな悲しい事言わないで。ばあばは、○○ちゃんいなくなったら寂しいのよ。』
と言われました。
朝は、
『もうこの家から出て行ってもらって、父親の元で暮らして貰うしかないわよ』
と言ってたのに。
もう何が真実で、何が嘘か分からなくなった。
私みたいに馬鹿正直に生きてる人間、何も報われるわけないじゃん。
人はみんな常に偽りを持って生きてるんだよ。
こんな事をしでかしたので、今は祖父母の監視下で日常生活を送ってます。
でも、どうしても苦しくて死にたくてヒステリック起こしそうになって、監視されてない隙に前からお世話になっている団体のお姉さんに電話をしました。
もう涙が止まらなくて、心が痛かった。
そうしたら、明日私の住んでる地域まで会いに来てくださると。
だから、お話聞かせて、って。
びっくりしました。
今まで団体の事務所に行きたくても交通費がなくて行けなかったのに、まさか来てくださるなんて…
本当に本当に、今でも信じられません。
きっと、そのお姉さんに電話をしていなかったら、私はまた反動でODやリスカをしていたかもしれない。
ダメ人間で問題児で社会のゴミ。
そんな代名詞がついてる私だけど、もしかしたら少し助けてくれるかもしれない…
お会いするの少し緊張するけど、少しばかり希望が差し込んでます。
明日、どうか私の心が少しでも素直になってくれますように…
曲がり角の先は
こんばんわ。
咲音です。
新年度が始まって、生活が一変した方も多いと思います。
私の周りでも社会人として歩みだした子、大学に進学した子、みんな一生懸命頑張っています。
今年も私は自分を惨めだと思いながら新年度を迎えるのかと思いましたが、明日から半年間ケアワーカーの養成学校に行きます。
明日は入学式だけなのですが、明後日から本格的に1日学校です。
半年で介護福祉士実務者研修の資格を得るということで、カリキュラムは相当詰め詰めだと思います。
GWもあるかどうか。
最初は本当にこの道でいいのかと相当葛藤しましたが、もう私の迷いは消えました。
だいぶ先の事考えてしまっていますが、特養のケアワーカーとして働きながら、通信の大学で勉強して、社会福祉士の試験突破してみせます。
もちろん、三年の実務経験を経て介護福祉士の資格も。
そして、自分もおじいちゃんもおばあちゃんも一番望む生き方をします。
高校では看護科に進学し、短大は社会福祉学部への編入を目指して英語科、その後ゼミで教育学に出会って教員を志したこともありました。
散々迷い道をしてきた私だけど、もう自分の生き方に悲観したくないです。
だから、どんな職業でもその仕事に誇りを持って、置かれた場所で頑張ろうと思います。
養成学校は相当厳しくて、皆勤で通うつもりでいないと即退学食らうくらいです←
パニック発作とか対人恐怖とか心配なことはたくさんあるけど、この経験が私を変えてくれると信じて、がむしゃらに頑張ります。
これから実習などで腕を晒すことが避けられないと思うので、メンヘラ少女さんとコラボしたファンデーションテープを注文しました。
これで、クラスメイトや先生方、利用者さんに不快な思いをさせなくて済むかな。
そして、リストカットも卒業したいです。
今日1日、明日に備えてリラックスしてたけど、なかなか寝付けそうにありません。
でも、睡眠はしっかり取らないといけないので、いつもの眠剤にプラスして音楽のパワーをかりて眠りにつこうと思います。
まだスタート地点で未熟な私ですが、この半年間をやり遂げられるよう見守ってくださると嬉しいです。
よし、明日から心機一転!
頑張るぞ!!