にゃんこと鰯

自己表現のリハビリブログです。

私の生き方

こんばんわ。
咲音です。

こんな時期に熱を出して、ただいま氷嚢で頭を冷やしてます。

いやー、今年はよく熱が出る。

野菜不足できっと免疫が不足してるんでしょうね。

ちゃんとビタミン取らないと。


今日は何とかおじいちゃんを病院に連れて行く事が出来ました。

おばさんの話を聞いた限り、かなり大事になりそうな気がして今日まで生きてる心地がしなかったのですが、何とか祖父の入院は免れました。


カリウムは糖尿病で通院してる時から常に正常より高く、慢性的な腎不全になってるみたいです。

ただ、この前の検査で1日に2回血液検査をしてカリウムを測ったら、一回目の時に6台の数値だったのが二回目には7の後半にまで上がっていたので、外科の先生が慌てて処置をしてくれたみたいです。


私は、常にカリウムが7を超えてるのかと勘違いしてて絶対入院は避けられないと思っていたのですが、カリウムが急激に上がった原因が食生活の変化と分かり、とりあえずホッとしました。

治療も、今のところは食事療法と投薬で大丈夫そうです。


カリウムの多い食材や、カリウムを食物から減らす方法などは、私が以前インターネットで調べて印刷した一覧表があるので、それを参考にして祖父には食事を取って貰わないといけませんね。


祖父は入院を頑なに拒んでたので、何とか入院を避けられて良かったです^ ^



そして、今日の病院の付き添いのために昨日から実家に帰ってました。


家は変わらず。

床には新聞紙が敷き詰められていて埃とヤニだらけ、リビングには栄養が偏ったようなお弁当とカップラーメンの山、父も自室で布団にこもりながらテレビを見てました。


これが今の我が家の現状です。


父は、祖父の病状について何も聞いてなかったみたいで、私が説明しました。

もしかしたら命に関わるかもしれない。
長期入院になるかもしれない。

そう説明しても、父は言葉を返してくれませんでした。


そして、何故か私の学歴の話に。

『結局、あの高校に入ってからお前はダメになったんだろ?だから反対だったんだ、俺は。』

え??
何のこと?
って思いました www


結局、私が不登校になったり、リスカやODをした原因は、あの高校に入ったからだと言いたいみたいです。


高校でのつまずきが原因で不登校になって、鬱状態になったのは確か。

でも、リスカやODは決して学校生活のせいではない。


むしろ、両親の影響が大きいです。


だから、わざとらしく言ってやりました。

『誰のせいで私はこんなにグレちゃったんだろうねー wwwwww』


はい、返事なし 笑



普通、グレますよ。

親が働いてなくて、毎日喧嘩してて、学校にも居場所なかったら。




高校はあまり行くことができなかったけど、私にとっては入学する前から大好きな高校だった。

でも、その高校を大好きになれなくなってしまったのが何よりも悲しい。

だから、私は高校自体にも、そしてイジメの加害者自体も恨むつもりはありません。



ただ、親は自分が原因で子供を苦しめてたって自覚が全くなくて、悲しかった。


みんな、自分本位で生きてるから人の事なんて考える余裕ないのかな?


私は、母親の事は拒絶してるのでどうでもいいのですが、父に関しては自分の望む形で生きて欲しいと思っています。

今の私の本音だと、1日でも早く両親のところから逃げたくて仕方ありません。


でも、逃げる前に、父にはやれるだけの事をやってあげたいんです。


『俺は病院には絶対行かない。この家で死ぬ覚悟が出来てるから』

昨日そんな事を言っていた父ですが、本当はやりたい事とか、たくさんあると思うんです。

スタジアムでの野球観戦とか、列車の旅とか、ドライブとか、美味しいもの食べに行ったりとか…

父は、きっとまだ生きる事に希望を持っています。



今、社協の人と相談して、父を入院させようか、と考えています。

祖父の考えとしては、父に家から出てってもらって生活保護で生活して欲しいみたいですが、今の父の現状ではとても不可能だと思います。


精神科に入院させるという事には、正直私も最初は抵抗がありました。

でも、開放病棟なら父ものびのび生活できると思うし、病院食も今家で食べているカップラーメンなんかより美味しくて栄養バランスの取れたものが出る。

そして、何より同じ境遇にいる患者さんと繋がることで、少しでも社会復帰に対する意欲が出てきてくれることを願っています。


父が病院で療養することになったら祖父の負担も減るし、生活は相当楽になると思います。

私は父に対して、また働いて欲しいとは押し付けません。

ただ、父らしい人生を社会との繋がりを大切にしながら生きていって欲しい。

それを願うばかりです。



何とか、私が大学編入で寮に入ろうと考えている再来年の春までに、父になんらかの変化が生まれるように頑張らないといけませんね。


 Life is an exciting business and most exciting when it is lived for others.

人生は刺激に満ちた仕事ですが、もっとも刺激的なのは、人のために生きるときです。


ヘレンケラー、の言葉です。

この言葉は、私の人生そのものを表してる気がします。


人のために生きること

それが私の目標とする生き方であって、一番の生きがいなんだと思います。


ただ、人に寄り添いすぎて感情移入が激しくなってしまうと自分が辛くなってしまうので、そこはセーブしないと。



今日、Eテレ(NHK 教育テレビ)の福祉番組、ハートネットTVで、私が患っている『境界性パーソナリティー障害』について特集されていました。

実はこの放送が決まってから、私は番組のホームページに当事者の意見として、様々なことを書きました。

残念ながら私の書き込みは放送されませんでしたが、BPDを患ってる人みんなが同じ思いを抱えていて生きるのにもがき苦しんでいる、という事を実感することができ、何だか心強くなりました。

感情のコントロールの難しさや見捨てられ不安、自傷

本当に当事者にしか分からない苦しみなんですよね。


恥ずかしながら、私は昨日の夜に感情のコントロールが出来なくなりパニックになってしまい、ODをしてしまいました。

実家から帰りたくて仕方なかったのですが、帰ることが許されないという縛りで、苦しくなってしまったんです。


やっぱり、実家に帰るとたまに辛いこともあります。

不衛生な家の環境、そして幼い頃虐待されてた私から、引きこもりの時の私まで、あの家には様々な歴史があるんです。

そして、壊れたドアや家具を見て、息苦しくなってしまいます。

母親が暴れて壊した時の記憶が鮮明に蘇ってきて…

軽いフラッシュバックですね。


そんな事もあり、昨日はODをしてしまいました。



我が家というのは本来安心できる場所でなきゃならないのに、私にとっては辛い記憶を呼び起こさせ、また現実を突きつけられる居ずらい場所。


悲しいです。




今のマンション生活もストレスがないとは言えませんが、何とか生きていけてます。

後、1年半ぐらいこのマンションで生活していける事を願って止みません。





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そういえば、一昨日行われた高校生の手話甲子園。

皇室の佳子様も出席された事で、メディアでも多く取り上げられましたね。

その大会に、実は私の母校が県の代表として出場したんです!!

私も知らなかったのですが、手話甲子園の出場校をスマホで検索してみたら私の母校の名前があって!

本当にびっくりしました!


私の母校の手話部は、本当に素敵です。

新入生歓迎会で先輩方のパフォーマンスに一目惚れし、仮入部に行ってそのまま入部しました。

ただ、他校の友達の圧力で1ヶ月くらいで辞めざるおえなくなってしましたが(本当は続けたかった)



それ以来ご無沙汰だった手話。

久しぶりにまた勉強してみようかな、と実家から本を持って帰ってきました。


50音覚えるあたりとか、懐かしいです。



世の中には手話を必要としている人がたくさんいる。

その支えに小さな形でも貢献できたら、そんな思いでまた手話を少しずつ勉強し始めていきたいと思います。